虚ろの町、虚ろな夜

 彼は飲み会の帰り道、電車の座席で酔いにまどろんでいた。電車の揺れが心地よく、彼の意識は次第に遠のいていく。周囲の喧騒が次第に薄れ、彼の心は静寂に包まれた。彼は、仕事のストレスを忘れ、ただ単に流されるままに寝入ってしまった。


しばらくして、彼はふと目を覚ました。周りは暗く、車両の中は誰もいない。乗客の姿は消え、ただ彼一人だけが取り残されていた。

電車は知らない駅に停車し、静寂が重くのしかかる。彼は不安を感じながらも、何とか立ち上がると、ドアを開けて外へ出た。


ホームも薄暗く、腐敗した匂いが立ち込めている。コンクリートの壁はひび割れ、雑草が生い茂り、まるで廃墟のような、そして時間が止まったかのような光景だった。

彼は立ち尽くし、周囲を見渡す。人の気配はまったくない。駅名表示板は錆び付き、読み取ることすらできなかった。


「ここは…どこなんだ?」


心細さが彼の胸を締め付ける。彼はフラフラと駅の外へ向かった。

町並みも荒れ果て、家々は崩れ落ち、空はどんよりとした灰色に覆われている。まるで悪夢の中にいるかのようだった。

彼の心に恐怖が広がり、常識では考えられない状況に戸惑いが深まる。


「もう一度、電車に戻ろう…」


彼はそう思い、駅へ向かう途中で目の端に何か異様なものを感じた。振り向くと、そこには黒い影がちらりと見えた。彼は心臓が高鳴るのを感じながら、視線を逸らすことができなかった。


「誰かいるのか?」


声をかけると、影は一瞬動きを止めたが、すぐに離れていった。彼は恐怖と興味が入り混じりながら、その影を追いかけた。だが、影はすぐに消えてしまう。現れては消えを繰り返し、まるで彼をからかっているかのようだ。

彼の心の中に不安が渦巻く。なぜ誰もいないのか、この町に何が起こったのか、答えが見つからない。


彼は彷徨う中で、次第に周りの景色が歪んでいくのを感じた。廃墟と化したした町並みが彼に近づいてくるような感覚。彼は足元がふらつき、意識が遠のいていく。周囲の音は消え、ただ彼の心臓の音だけが響いていた。


「お願い、誰か助けてくれ…」


彼は叫んだが、その声は空虚に吸い込まれてしまった。周囲は静まり返り、彼は孤独感に苛まれた。目の前の影が徐々に近づいてくる。彼は逃げようとするが、身体が動かない。まるで何かに縛られているかのようだった。


次第に影が彼を取り囲む。恐怖が全身を駆け巡り、彼は意識が遠のくのを感じた。その瞬間、どこか遠くで鈴の音が聞こえた。彼はそれ鈴の音に引き寄せられるように、自らの意識を奪われていく。


気がつくと、彼は最寄り駅のベンチに座っていた。周囲は明るく、普通の街の風景が広がっていた。人々が行き交い、電車の音が聞こえる。彼は自分の状況を理解できなかった。夢だったのか、それとも別の世界だったのか。


「何が起こったんだ…?」


彼は頭を抱えた。飲み会の帰りに酔って寝てしまったはずだ。その後の記憶はまるで曖昧だ。周囲の人々は彼のことを気にも留めず、忙しそうに行き交う。彼は何が現実で、何が幻想なのか、判断がつかなかった。


心の中で何かが叫んでいる。あの腐敗した廃墟の町や影たちの正体は何だったのか。彼は自らの恐怖を思い出し、目を閉じる。すると、また鈴の音が聞こえた。彼はその音に導かれるように、再び目を開ける。


周囲は変わらず、何もなかったかのように感じる。しかし、その瞬間、彼の心の奥底で何かが揺れ動いた。

何かはわからない。

ただ心が荒廃していくのがわかった。


彼は立ち上がり、駅の出口へ向かう。

彼の目は虚ろで何も見えていないようだった。






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