残された街

 青白い月の光が、静まり返った街を照らしていた。舗装された道路はひび割れ、草が生え、放置された車が無造作に並んでいる。まるで、誰かが急にこの街を去ったかのようだった。そんな風景を見ながら、遥は自分がどこにいるのか、何をしていたのかを思い出せずにいた。


「なんで…こんなところに?」彼女は呟いた。今朝、友達とカフェで話していたことを思い出す。悩みを打ち明けたり、笑い合ったり、そんな日常の一コマが、今は遠い記憶のように感じられた。


考え事をしながら歩いていたからなのか、周りが見えていなかったのか、気が付くと街には誰も居なくなり、友達の声も、車の音も、何もかも消え失せていた。まるで、この世界に自分一人だけが取り残されてしまったような気分だった。


「友達に電話してみよう」と思い、ポケットからスマートフォンを取り出した。電源を入れても、画面には「電波がありません」と表示されるだけ。何度もダイヤルを試みるが、無情にも繋がることはなかった。


「どうして…どうして誰もいないの?」遥の心には不安が渦巻いていた。周囲を見渡すと、アスファルトの上に落ちている葉っぱのように、無造作に置かれた車たちが目に入った。運転席には、まるで急に降りたかのように、ドアが開いたままの車もあれば、窓が割れた車もあった。人々の生活の痕跡がそこにあるのに、肝心の人影はどこにも見当たらない。


「私だけ…残されたの?」その思考が心の底から湧き上がる。周囲の静寂が、まるで彼女の心を冷たく締め付けるようだった。


思わず足を早め、彼女は街の中心へと向かった。広場には、公園のベンチがぽつんと一つ。周りには、何もない。ただ、月光がそのベンチを照らすのみだった。まるで、忘れ去られた思い出のように。


遥はそのベンチに腰掛け、深く息を吐いた。自分の心臓の音が、耳の中で響いている。まるで、誰かが自分を見ているような不気味さに包まれた。恐怖が彼女の背筋を冷やし、思わず立ち上がりたくなる衝動に駆られた。


「誰か…いるの?」声が、静寂の中に消えていく。反響することもなく、ただ音が消えた。彼女はその場から逃げるように、また歩き出した。


時折、足元に落ちている何かを見つめる。ビニール袋、飲みかけのジュースの缶、そして、古びた靴が一足。まるで、そこに人々の生活があったことを証明するように。


しかし、彼女の心はどんどん重くなっていく。孤独感が彼女を包み込み、まるで冷たい霧が体を覆うようだった。


月光の下、街は静まり返り、ただ彼女の心の声だけが響き続けるのだった。




最新記事

妻のマグカップ

 ある晩、古びたアパートの一室で、僕は妻のマグカップを手に取っていた。茶色く、無数の細かいひびが蜘蛛の巣のように広がったそのカップは、妻が最期の時まで肌身離さず使っていたものだ。彼女が冷たくなった後も、僕はこのカップを捨てることなど到底できなかった。いつも彼女が淹れてくれた、焦げ...