幼い頃、近所に住むおばあちゃんと仲良しだった。いつも縁側で日向ぼっこをしながら、私はおばあちゃんのところに遊びに行き、昔話を聞かせてもらっていた。おばあちゃんは、まるで夏の日差しのように温かく、優しく微笑みながら、ゆっくりとした口調で物語を紡ぎ出す。
ひとつ、ふたつ、物語が重なり合う中で、私の心にはおばあちゃんとの特別な絆が育まれていった。ある日、穏やかな午後のことだった。おばあちゃんは私に言った。
「おばあちゃんが死んだら、庭の桜の木の下に来てごらん。きっと会えるから。」
その言葉は、私の幼い心に不思議な印象を残した。死ぬことなんて、子供の私には想像もできなかったから、「うん、わかった。」と軽く返事をした。
月日が流れ、あっという間に数年が経った。おばあちゃんはついにその時を迎えた。葬式の日、私は庭の桜の木を見つめていたが、おばあちゃんの言葉を思い起こすことはなかった。悲しみの中で、ただぼんやりと木の枝が揺れる様子を見ているだけだった。
さらに数年が経ち、私は大人になった。都会の喧騒に埋もれ、日々の生活に追われる中で、昔のことなど忘れてしまっていた。そんなある日、実家に帰ることになった。庭に足を踏み入れると、目の前には満開の桜の木が広がっていた。その柔らかいピンク色の花々は、まるで思い出を呼び覚ますかのように、私の心を揺さぶった。
その時、ふと幼い頃の記憶が蘇ってきた。おばあちゃんとの約束。私は無意識に桜の木の下へと足を進めた。根元にしゃがみこんでみると、ふと何かが目に留まった。それは、小さな手紙だった。古びた紙には、かすれた字でおばあちゃんの名前が書かれている。手紙を開くと、そこにはこう書かれていた。
「待っているよ。」
その瞬間、強い風が吹き抜け、桜の花びらが一斉に舞い上がった。まるで空の彼方から呼び寄せられたかのように、花びらが私を包み込む。混乱した気持ちの中で、私はおばあちゃんの優しい笑顔が花びらの中に浮かび上がるのを見た気がした。
しかし、それは一瞬のことで、風が止むと同時に花びらは地面に散ってしまった。その瞬間、私は手紙を握りしめ、涙がこぼれ落ちた。おばあちゃんは本当に待っていてくれたのだろうか。それとも、ただの気のせいだったのだろうか。心の中に広がる思いは、まるで濃い霧の中に迷い込んだかのように、出口を見失っていた。
その夜、私は夢を見た。おばあちゃんが笑顔で庭に立っていて、私を見つめている。彼女の姿は、温かい光に包まれていて、まるで何かを伝えたがっているようだった。しかし、言葉は聞こえない。ただ彼女の顔が、私の心の奥底に響いてくる。
目が覚めたとき、私は決意した。約束を果たすために、もう一度桜の木の下に行くことにした。朝日が昇り、庭は柔らかな光に包まれていた。私は桜の木の根元に立ち、目を閉じて深呼吸をした。
「おばあちゃん、私は来たよ。」
静寂の中、何も起こらない。だが、心の中の不安は徐々に消えていった。何かが、私を包み込む感覚がした。まるでおばあちゃんが、私の背中を押しているような温もりに包まれていた。
その瞬間、風が吹き、再び花びらが舞い上がった。私の心は高鳴り、涙がこぼれ落ちた。おばあちゃんの声が心に響く。「大丈夫、あなたは一人じゃない。」
ふと、目を開けると、桜の木の下にほんの少しの光が差し込んでいた。そこには、花びらの中におばあちゃんの微笑みがあったように思えた。私は手紙をしっかりと握りしめ、もう一度深呼吸をした。
おばあちゃんとの約束は、決して忘れられない。彼女の優しさは、今も私の中に生き続けている。どんなに時が経っても、あの約束は私を支えてくれるのだ。心の中で彼女の存在を感じながら、私は静かに庭を後にした。
そして、桜の木が満開の頃、私はまた戻ってくることを決意した。おばあちゃんが待っていてくれるその場所へ、私は何度でも足を運ぶだろう。約束は、時を超えて私たちを結びつけているのだから。