古びた町に迷い込む

 秋の爽やかな風が吹く休日、飯田と佐藤の二人は、久しぶりのドライブを楽しむことにした。目的地は、山を越えた先にある小さな町だ。普段の喧騒から離れ、自然の中でリフレッシュすることが目的だった。車の窓を全開にし、流れる景色に身を任せながら、彼らは笑い声を交わし続けた。

「この辺り、いい雰囲気だな。」飯田が言う。 「マジで。こういう自然の中で過ごすの、久々だよ。」佐藤も同意し、助手席から外を見つめる。彼の視線の先には、色づき始めた木々と青空が広がっていた。 しかし、山道に入ると、道は次第に細くなり、周囲の景色が変わっていった。木々が生い茂り、時折、カラフルな鳥の声が耳に入る。だが、途中で地図を見ても、彼らがいる場所はどこか分からなくなる。何度も曲がりくねった道を走り続け、気がつけば、二人は小さな町の入り口に辿り着いた。 「ここが目的地なのかな?」飯田が不安げに言った。 「多分、そうだろう。でも、なんか雰囲気違くない?」佐藤は感じた違和感を口にした。町の様子は、まるで時が止まったかのようだった。昭和の香りが漂う古い家々、商店の看板は色あせ、住民たちも異様な静けさを保っている。 彼らは車を停め、町を歩き始める。道を尋ねるために、近くにいたおばあさんに声をかけた。しかし、彼女の答えは理解しがたい言葉だった。 「ここは昔からこのままじゃ。あんたら、どこから来たんじゃ?」 「えっと、東京からです。」飯田が言うと、おばあさんは不思議そうな顔をした。 「東京?あんな遠いところから、何しに来たんじゃろ?」 その会話は、まるで噛み合わなかった。驚きと戸惑いが飯田と佐藤の心を支配する。周囲の住民たちも、彼らに視線を向けるが、誰も声をかけてこない。まるで彼らがこの町にいることが許されていないかのようだった。 「ちょっと、ここから出ようぜ。」佐藤が不安を隠せずに言った。 「そうだな、夜になる前に脱出しよう。」飯田も同意する。 彼らは急いで車に戻り、町を出るために再び道を進んだ。しかし、帰り道も同じように感じる。どれだけ走っても、町は後ろに見えない。彼らの心の中には、恐怖がじわじわと広がっていく。 「おい、あれ見ろ!」佐藤が指差した先には、町の入口に立つ古びた看板があった。「昭和町」と書かれている。 「昭和町…?なんだこれ、本当にここは昭和のままなんじゃないか?」飯田は言葉を失った。二人は何か恐ろしい秘密に迫っているのではないかと感じた。 再び町に戻り、道を尋ねることにした。今度は若い男性に声をかけたが、彼もまた不思議な表情を浮かべていた。 「ここから出たいんですけど、道を教えてもらえますか?」 「出る?お前ら、ここがいいところだろうが。何も知らんのか?」男性は笑みを浮かべながら答える。 その瞬間、飯田と佐藤は背筋が凍る思いをした。町の住民たちが彼らを見ている。目がじっとこちらを見つめる。まるで彼らを逃がさないかのように。 「なんだ、ここは…」佐藤が言葉を失った。彼らはこの町が自分たちを受け入れない、いや、受け入れたくない場所だということに気づいた。時代を超越した異次元のような場所で、自分たちが迷い込んでしまったのだ。 焦りを感じながら、二人は再び車に飛び乗った。エンジンをかけ、必死にアクセルを踏む。だが、どんなに急いでも道は一向に見つからなかった。時計は既に夕暮れを迎え、薄暗くなり始めている。 「頼む、どこかに出てくれ…。」飯田が呟く。心臓がバクバクと音を立て、冷や汗が額を流れる。彼らは、昭和の町から逃げることができるのか。 その時、ふと見えた明かりがあった。道の先に、薄暗い光が揺れている。二人はその方向に向かった。光が近づくにつれて、町の景色が変わり、住宅街から抜け出せる兆しが見えた。 「行ける、行けるぞ!」佐藤が声を上げる。彼らは希望を抱き、光の方へ向かって突き進んだ。 やがて、明るい光の中にたどり着いた。そこは、町の出口だった。道が開け、二人は一瞬ホッとした。しかし、その瞬間、後ろから響く声が聞こえた。 「お前ら、戻ってきたらいけんぞ!」 振り返ると、町の住民たちが群がっていた。その目は、まるで彼らを捕まえようとするように光っていた。彼らは恐怖に駆られ、車を急発進させた。 「逃げろ!」飯田が叫ぶ。アクセルを踏み込み、町を後にした。振り返ると、昭和町は徐々に小さくなり、やがて見えなくなった。 彼らは無事に町を脱出したが、心に残るものは不安と疑念だった。あの町は一体何だったのか?時間が止まったような場所で、住民たちの笑顔の裏には何が潜んでいたのか。 「もう二度と、あんな所には行かない。」佐藤が呟いた。 「だな、俺も。」飯田は同意し、二人は静かに帰路についた。 その後、彼らはその町のことを忘れようとした。だが、時折夢に見ることがあった。昭和町の住民たちが、彼らに向かって笑っている夢を…。 結局、二人はその町のことを誰にも話さなかった。恐ろしい経験を共有することは、彼らにとってあまりにも重すぎたのだ。そして、あの町が存在したのかどうかも分からなくなった。 町のことは忘れたはずなのに、心の奥底にはいつまでもその影が残っていた。何かを忘れ去ることは、時に心に重い鎖を残すのかもしれない。


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