ある晩、陽が沈んだ後の静まり返った街で、陽子は一人、帰宅の途についていた。彼女の足元には、街灯の明かりが照らす小道が続いているが、その光はどこか弱々しく、闇が迫ってくるような感じがした。ふと、胸の奥に不安が広がる。まるで、何かが彼女を見つめているかのような感覚だ。コツコツ、コツコツと、足音が響く。彼女の心臓はどくんどくんと高鳴り、まるで耳元で囁くかのように。
「大丈夫、大丈夫」と自分に言い聞かせる。だが、心のどこかで違和感が拭えない。そう、彼女には忘れられない過去があった。数年前、同じ道を通っていたとき、彼女の目の前で小さな子供が消えたのだ。周囲は何事もなかったかのように静まり返り、陽子だけがその恐怖を抱え続けていた。
薄暗い小道を進むうちに、ふとした瞬間、彼女は足元に何かを感じた。コツコツ、コツコツ、今度は小さな足音が彼女の足元から響く。目を凝らすと、何かがいる。小さな影が、暗闇の中から彼女をじっと見つめていた。
「いや、いや、そんなことは…」
陽子は自分の目を信じられなかった。
「ねえ、誰? 誰か居るの?」声が震える。返事はない。だが、足音は続く。まるで何かが彼女の後を追っているかのような不気味さだ。陽子は後ろを振り返ると、闇の中に小さな人影が見えた。背中を冷たいものが走り抜ける。心臓がどくんどくんと高鳴る。彼女は走り出した。
その時、目の前に現れたのは、町の古い公園だ。木々が陰を作り、風がざわざわと音を立てる。まるで、彼女を歓迎しているかのように。だが、安心する間もなく、再びコツコツと音が聞こえる。今度は、彼女のすぐ後ろからだ。
「いや、嘘だ、嘘だ!」
陽子は叫ぶが、声は空気に消えてしまった。
「お前、どこ行くの?」注意を引くような小さな声が、ふいに耳元で聞こえた。まさか、あの時の子供が…?恐怖が彼女を支配する。彼女は振り返るが、そこには誰もいない。ただ、暗闇の奥に小さな影がちらりと見えた気がした。
コツコツ、コツコツ、今度はその影から響くように聞こえる。
「おい、待てよ!」
その声はまさに子供のような無邪気さを持っていたが、どこか冷たさを感じさせる。陽子は心の中で葛藤する。逃げるべきか、それとも声のする方に行くべきか。だが、彼女の足は動かない。恐怖が彼女をその場に留めていた。
「おい、そっちじゃない、こっちだよ!」その声は、まるで彼女を誘っているかのようだった。陽子は気がつくと、自分の足が勝手に動いているのを感じた。暗闇に引き寄せられるように、彼女は一歩一歩進んでいく。コツコツ、コツコツ、足音は彼女の心音に重なり、どんどん大きくなっていく。
公園の奥にある古びた滑り台のところまで来ると、そこで彼女は立ち止まった。真っ暗な滑り台の階段に、何かが見える。小さな手が、階段の端にちょこんと置かれている。陽子は急に恐怖を感じ、思わず後退りしようとするが、足が動かない。
コツコツ、コツコツ、音が響く。彼女の周りは静まり返り、ただその音だけが心をざわつかせる。
「陽子、来て!」その声が再び響く。彼女は背筋が凍りつく。これは、確かあの子供の声だ。彼女の心の奥底にあるトラウマが呼び起こされ、彼女は思わず叫んだ。
「やめて!お願いだから、やめて!」
その瞬間、目の前の滑り台から小さな影が走り出してきた。陽子は悲鳴を上げ、全速力で逃げ出す。
コツコツ、コツコツ、音は彼女の背後で続く。暗闇の中で、自分が追われていることを実感する。
走りながら、陽子は振り返ることができなかった。しかし、彼女の心の中では、あの子供の声がずっと響いていた。
「お前は逃げられないよ、ずっと一緒だよ…」
その言葉が耳から離れず、彼女は途方に暮れていた。走り続けるうちに、だんだんと疲れが出てきた。
ふと立ち止まった瞬間、彼女の目の前に現れたのは、真っ暗な空間の中で、無数の小さな目が光っているのが見えた。まるで、彼女を囲むようにして、暗闇に潜む小さなものたちが彼女を見つめている。
「おい、待ってよ!」
その声が彼女の耳元で囁く。陽子は絶望感に包まれ、ただその場に立ち尽くすしかなかった。彼女の心の中で、何かが崩れ落ちる音を感じた。
コツコツ、コツコツ…。
その後、陽子の姿は二度と見つからなかった。暗闇に潜む小さなものたちは、彼女の存在を消し去り、また一人、彼女を仲間に加えたのだ。