【忘れられた日記】

 古い書店の薄暗い角に、埃をかぶった日記がひっそりと佇んでいた。表紙は擦り切れ、ページは黄ばんでいて、まるで長い間忘れられていたかのように見えた。会社員のA子は、その日記を見つけた瞬間、何かに引き寄せられるように手を伸ばした。彼女の心は、まるで不気味な魅力を持つ古びた宝物を見つけた子供のように高鳴った。


「これ、いいかも…」


日記を手に取り、書店を出ると、外は薄暗くなり、街灯の光がゆらめいていた。彼女は、何か特別なことが起こる予感に胸を躍らせながら、自宅へと急いだ。


家に着くと、彼女は日記をテーブルの上に広げた。ページをめくると、そこには一人の女性、名は「花子」と記されていた。花子の日常や感情が生き生きと描かれており、まるで花子と対話をしているかのような感覚にA子は浸った。


最初は平穏な日々が綴られていたが、ページをめくるにつれて、花子の心の闇が顔を覗かせ始めた。「誰かに見られている」という言葉が、次第に頻繁に現れるようになり、花子の生活は次第に不安に満ちていった。


A子は、花子がどんな運命を辿ったのか、もっと知りたいと思った。日記を片手に、彼女はネットで花子の名前を検索する。しかし、情報は見つからなかった。まるで花子は、世界から消えてしまったかのようだった。


数日が経つにつれ、A子は日記の内容に魅了される一方で、次第に彼女自身の生活にも不穏な影が差し込むようになった。何かが後ろに迫ってくる感覚、誰かが彼女を見つめているような気配。それはまるで、彼女が花子の日記の中に引き込まれているかのようだった。


ある晩、A子が眠りについた時、夢の中に花子が現れた。彼女は薄暗い部屋の中で、A子に向かって手を差し伸べてきた。しかし、その表情は怯え、かつ哀しみを帯びていた。


「私から逃げないで…」


その言葉がA子の心に深く刻まれ、彼女は目を覚ました。夢から覚めた後も、花子の声が耳に残っていた。彼女はその声に引き寄せられるように、再び日記を開いた。


最後の数ページには、花子が逃げられない運命に直面する様子が克明に描かれていた。

「もう逃げられない」と、彼女の叫びがA子の脳裏に響き渡る。


その日以降、A子は日記を手放せなくなった。彼女は花子の運命を変えようと試みるが、運命は簡単には変わらない。日記を読み続けるたびに、彼女は花子の絶望と恐怖を感じ、次第にその感情が自分のものになっていくのを感じた。


A子はある晩、日記を見つめながら思った。自分もまた、誰かに見られているのではないかと。不安が増していく中で、彼女は外の世界に目を向けたが、誰もいない静かな夜に包まれていた。街の音は遠くなり、彼女の心臓の鼓動だけが響いていた。


その時、ふと後ろに冷たい風を感じた。振り返ると、誰もいないはずの部屋の中で、薄暗い影が彼女に迫っていた。A子は恐怖に駆られ、日記を握りしめた。


「逃げられない…」その言葉が、彼女の心に染み込む。


瞬間、彼女は日記を捨てようと決意した。だが、手は震え、心は花子の絶望に押しつぶされそうになる。「私を捨てないで…」その声が耳元で囁く。彼女は、逃げることができないと感じていた。


A子は、最後のページをめくった。そこには、「あなたは私の運命を背負うことになる」との言葉が書かれていた。そして、彼女の目の前に映る影が、徐々に花子の姿を取っていくのを見た。


「やめて…私は逃げるわ!」


A子は叫んだが、その声は空虚な響きとなり、彼女の意志は影に飲み込まれていった。逃げられない運命に直面した彼女は、日記の持ち主と同じ道を辿ることになるのだと理解した。


その日、古い書店では新しい客が日記を手に取った。彼女はその日記を読み始める。A子の運命は、花子と共に忘れ去られ、次の持ち主へと受け継がれていく。日記の言葉は、永遠に誰かを見つめ続けるのだった。



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