2月14日、バレンタインデー。外はすでに夕暮れ時で、校舎の影が長く伸びていた。ヒトシは、放課後の教室からの静けさを感じながら、下足室に向かった。部活動をやっていない彼は、特にすることもなく、ただ時間が過ぎるのを待つように、気だるい足取りで歩いた。
下足室の扉を開けると、冷たい空気がヒトシの顔を撫でた。薄暗い室内は、靴の匂いと古い木材の香りが混ざり合い、どこか不気味さを感じさせる。彼は自分の下足箱に近づき、扉を開けた。いつも通りの靴が並ぶ中、ふと目に留まったのは、何かが入った小さな箱だった。
「これ、なんだろう…?」
ヒトシは、心臓が高鳴るのを感じた。周りには誰もいない。静まり返った空間が、彼の心をざわつかせる。その箱は、黒いリボンで結ばれていて、まるで特別な贈り物のように見えた。手を伸ばすと、冷たい感触が指先に伝わる。しかし、彼の心には期待と不安が入り混じっていた。
「まさか、チョコレート…?」
ヒトシは自分の胸の高鳴りを抑えながら、梱包を解いていった。リボンを解くと、黒い箱の蓋がゆっくりと開く。中には、小さなハート型のチョコレートがいくつか並んでいた。香ばしい甘い匂いが立ち上る。それは、彼が夢見ていたようなバレンタインデーのサプライズだった。
「誰からだろう…?」
その瞬間、彼は思わず微笑んだ。彼女がいるわけではないが、クラスメートの中には、彼に好意を持っている子もいるはずだ。過去に何度か目が合ったり、会話を交わしたこともあった。もしかしたら、その子が…?心の中で妄想が広がり、彼の顔は赤く染まる。
しかし、次の瞬間、彼の心に不安がよぎった。チョコレートを贈るのは、普通は好きな人に向けての行為だ。彼が思い描いたその子の顔が、瞬時に消え去る。心の奥底に、不可解な疑念が渦巻く。
「まさか、これ…誰かのいたずら?」
その考えが頭をよぎると、ヒトシは急に冷や汗をかき始めた。まるで背後に誰かがいるような気配を感じ、周囲を見回す。だが、誰もいない。静寂が彼を包み込み、チョコレートの甘い香りだけが漂う。
ヒトシは勇気を振り絞り、チョコレートを一つ手に取った。小さなハートが彼の指の中で輝いている。思わず口に運ぼうとしたが、躊躇いが生じた。これが本当に誰かの贈り物なのか、それとも単なる悪戯なのか…?
「ああ、もう…食べてみるしかないか。」
自分を奮い立たせ、ヒトシは一口かじった。甘さが口の中に広がり、彼の心は一瞬、安堵に包まれた。しかし、その瞬間、彼の口の中に異物感が広がった。まるで甘さの中に何かが混じっているような、嫌な感触だった。
「うっ…!」
ヒトシは思わず顔をしかめた。その瞬間、彼の周りの空気が変わった。下足室の明かりが瞬時に消え、暗闇に包まれた。恐怖が彼の心を支配し、彼は周囲を手探りで探る。冷たい壁に触れ、足元の靴が邪魔をする。心臓がバクバクと音を立て、彼は逃げ出したい衝動に駆られた。
「誰か、助けて…!」
声が空気に吸い込まれる。ヒトシは、暗闇の中で何かが動く気配を感じた。まるで誰かが彼を見ているような、視線を感じる。恐怖が彼を包み込み、過去の思い出が襲ってきた。クラスメートの笑い声、友達との思い出、そして、彼が孤独を抱えていた日々。
「やめてくれ…!」
叫び声が響く。彼は必死に出口を探したが、暗闇は彼を逃さない。何かが迫ってくる。その存在は、まるで影のように彼を追い詰めてくる。ヒトシは全力で走り出したが、どこに向かっているのかもわからなかった。
そのとき、明かりが戻った。目の前には、笑顔のクラスメートが立っていた。彼女の目が彼を見つめ、優しく微笑んでいる。ヒトシは、安堵の息をついた。
「ヒトシ、バレンタインデーおめでとう!」
その瞬間、彼は自分が夢を見ていたことに気づいた。チョコレートは、彼女からの本当の贈り物だったのだ。しかし、彼の心の中にはまだ、あの異物感と恐怖が残っていた。彼は微笑みながらも、心の奥で何かが歪んでいるのを感じた。
「ありがとう…。」
彼は心の中で呟いた。だが、その声は彼自身にしか聞こえなかった。果たして、彼の心の中の影は、いつまで彼を付きまとい続けるのだろうか。バレンタインデーの甘さの裏に潜む恐怖が、彼の心に深く刺さっていた。