夜中の駅のホームに現れる人影

 あの駅は、街の少しはずれにひっそりと佇んでいる。終電を過ぎると、辺りは真っ暗闇に包まれ、まるで時間が止まったかのような静けさに包まれる。そんな駅で、最近奇妙な目撃情報が相次いでいた。


それは、誰もいないはずの夜中のホームに、人影がたたずんでいるというものだ。近所の住民からは、「寂しそうな顔をして、ずっと同じ場所にいる」とか、「遠巻きに見ると、まるで影のよう」といった声が聞かれた。


私は、その話を友人から聞いて、最初はただの噂だと流していた。しかし、ある夜、ふとしたことからその駅へと足を運んでしまったのだ。


時刻は午前2時を回っていた。ホームは、街灯の光すら届かないほどの暗闇に包まれていた。恐る恐るホームの先へと歩いていくと、遠くに人影が見えた。噂通りの、寂しそうな人影だった。


私は思わず足を止めた。その人影は、まるで私の方を見ているようだった。心臓がバクバクと鳴り響く中、私はその場から立ち去ろうとした。


その時だった。遠くから、貨物列車の轟音が聞こえてきた。私は思わず振り返り、人影の方を見た。すると、その人影はゆっくりと線路の方へと歩き出し、そして、轟音を立てて通り過ぎる貨物列車に飛び込んでいった。

しかし後に残るのは、貨物列車が通り過ぎた後の静けさだけだった。


次の日の朝、その駅で朝のラッシュアワーに飛び込み自殺があったというニュースを聞いた。私は、昨日の夜見た人影が、何か関係あるのではないかと感じた。


それ以来、私はあの駅には二度と足を運んでいない。しかし、今でも時々、夜中に目が覚めると、あの寂しそうな人影が目に浮かぶことがある。


あの駅には、今でもあの人影が寂しそうに佇んでいるのだろうか?

私はそれを確かめる気にはなれない。



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一軒家での奇妙な出来事

 先日、郊外の一軒家に引っ越したばかりの私達家族。静かな環境を求めて選んだはずの家が、ある夜から奇妙な現象に見舞われるようになった。


それは、深夜に聞こえてくる赤子の泣き声だ。最初は、近所の家の赤ちゃんが夜泣きをしているのかと思った。しかし、その泣き声は、日に日に大きくなり、場所も特定できないほどあちこちから聞こえてくるようになった。


最初は気にせずにいたが、だんだん気になって眠れなくなってきた。ネットで調べてみると、昔話に出てくる「子泣きじじい」という言葉が目に留まった。まさか、そんなものが実在するはずはないと最初は思ったが、深夜に聞こえてくる泣き声は、昔話で聞いた子泣きじじいの話と重なって、ゾッとするものがあった。


ある晩、勇気を振り絞って、泣き声が最も大きく聞こえる方へと向かってみた。懐中電灯の光を頼りに、庭を彷徨っていると、遠くにぼんやりと白い影が見えた。近づいてみると、それは小さな子どもの姿をしていた。


「どうしたんだい?」と声をかけると、子供はますます大きな声で泣き始めた。思わず抱き上げようとした瞬間、子供の体が急に重くなった。まるで、鉛を掴んでいるような感覚だ。そして、子供の顔を見ると、そこには老人の顔が浮かんでいた。


恐怖に震えながら、子供を放り投げようと試みたが、びくともしない。そのとき、ふと昔話の内容を思い出した。子泣きじじいは、一度抱き上げると絶対に離れないという。


絶望感に打ちひしがれそうになったその時、ふと庭に置かれたホースが目に入った。咄嗟にホースを掴み、子泣きじじいを吹き飛ばそうとした。水しぶきを上げながら、子泣きじじいは庭を駆け回り、最後は茂みの中に姿を消した。


それからというもの、奇妙な泣き声は聞こえなくなった。しかし、あの夜の恐怖は、今も私の心に残っている。


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山の光、宇宙人基地の噂に迫った大学生たちの末路

 若者たちの好奇心は、山の闇へと彼らを誘い込んだ。


新緑が眩しい夏の夜、大自然に囲まれた山へと足を運んだのは、近くの大学に通う陽気な男子大学生3人組だった。A、B、Cと名乗る彼らは、昔から仲が良く、週末になるとよく一緒に遊びに出ていた。


「なあ、あの山、宇宙人の基地があるって噂だろ?」


Cが冗談めかしてそう言うと、他の二人は大爆笑した。


「そんなわけないだろ。ただの噂にすぎないよ」


Aがそう言いながらも、どこかワクワクした表情を隠せない。


「でもさ、もし本当だったら面白いじゃん!」


Bがそう言うと、三人は一斉に笑った。


彼らは、その噂の山のふもとにある廃墟になった神社を目指していた。地元では、その神社の奥に宇宙人の基地に通じる秘密のトンネルがあるという噂が囁かれていた。もちろん、誰もその存在を確証した者はいない。


廃墟の神社に到着すると、彼らは車を降りて、懐中電灯を手に取り、神社の中を探索し始めた。薄暗い神社の中には、古びた石像や、ところどころ崩れかけた壁などがあり、どこか不気味な雰囲気を漂わせていた。


「うわ、ちょっと怖いな」


Cが小声で呟く。


「大丈夫だよ。心霊スポットじゃないんだから」


Aがそう言ってCを励ます。


しばらく神社の中を探索した後、彼らは神社の裏にある広場へと出た。広場には、何もない。ただ、夜空には満月が輝き、無数の星が瞬いていた。


「さあ、宇宙人の基地はどこだ?」


Bが冗談めかして言うと、他の二人は笑った。


その時だった。


突然、夜空に一点の光が現れた。その光は瞬く間に大きくなり、たちまち広場を照らし始めた。まばゆい光に包まれた彼らは、思わず目をぎゅっと閉じこんだ。


しばらくして、光が収まった時、彼らは目をゆっくりと開けた。


しかし、彼らの目の前に広がっていたのは、先ほどの広場ではなく、深い闇に包まれた洞窟のような場所だった。


「おい、どこだここ?」


Aが不安そうに辺りを見回す。


「俺たち、どこかに迷い込んだんじゃないか?」


Bも同様に不安そうな顔をしている。


Cだけが、一言も発しない。


彼らは、懐中電灯の光を頼りに、洞窟の中を歩き始めた。しかし、どこまでも続く洞窟の中に、出口は見当たらない。


しばらく歩いていると、突然、Cが叫び声を上げた。


「A!B!どこにいるんだ!」


しかし、返事はない。


AとBの姿はどこにもなかった。


Cは、一人きりになってしまったことに恐怖を感じた。


彼は、必死に二人の名前を呼びながら、洞窟の中を走り回った。しかし、二人の気配は全く感じられない。


Cは、自分が何処にいるのか、そして、AとBがどこに行ってしまったのか、全くわからなかった。


彼は、ただひたすらに二人の名前を呼び続けながら、深い闇の中に一人残されたのであった。



光の正体は何だったのか?AとBはどこに行ってしまったのか?


謎は深まるばかりである。



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鳴き声の正体

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隙間からの視線

 部屋の隅、クローゼットの隙間、ベッドの下。どこを見ても、そこには深い闇が広がっている。その闇の中に、何かが潜んでいるような気がしてならない。


私は隙間恐怖症だ。小さな隙間、わずかな隙間さえも、私の心を不安にさせる。まるで、その隙間から何かがこちらを見ているような、そんな気がしてならないのだ。


特に夜になると、その恐怖は頂点に達する。部屋の明かりを消し、布団に潜り込む。しかし、瞼を閉じても、あの暗い隙間の奥底からこちらを見つめるような視線が、私の脳裏に焼き付いて離れない。


ある夜、いつも通りベッドに横になった私は、クローゼットの隙間から、かすかな光を感じた。目を凝らして見てみると、その光はゆっくりと大きくなっていき、やがて、小さな目が現れた。


私は思わず体を起こし、クローゼットに近づこうとしたが、足がすくんで一歩も動けない。その目は、まるで私を嘲笑うかのようにゆっくりとこちらを見つめている。そして、その目は次第に大きくなり、闇の中から何かが這い出てくるような気配がした。


恐怖に震えながら、私は目をぎゅっと閉じ、布団に顔をうずめた。しかし、その視線は私の心を離れることなく、いつまでも私の心に突き刺さっていた。


それからというもの、私はどこへ行っても、隙間からこちらを見つめるような視線を感じてしまうようになった。バスの座席の隙間、エレベーターのボタンの隙間、果ては自分の手のひらの線まで、どこを見ても、そこには恐ろしい目が隠されているように思えた。


私は精神科医に相談してみたが、原因は特定できないと言われた。薬を処方されたが、一向に症状は改善しない。


ある日、私はふと、この恐怖はもしかしたら、私の心の奥底にある何かが作り出した幻なのかもしれないと思った。幼い頃に感じた孤独や不安、それらが形を変えて、今の私の心を支配しているのかもしれない。


しかし、そんなことを考えても、恐怖は消えない。私は、この隙間からの視線から、いつまで解放されることができるのだろうか。


もし、あなたがこの物語を読んでいる最中に、背中に冷たいものが触れたような気がしたら、それはもしかしたら…


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竹藪の砂かけ婆

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廃線になったトンネルを走る幽霊機関車

 かつて、この地方を横断する活気あふれる鉄道があった。蒸気機関車が力強く汽笛を鳴らし、線路の上を力強く駆け抜けていった。しかし、時代の流れとともに鉄道は衰退し、多くの路線が廃止されていった。この地方の鉄道もその一つで、美しい自然の中に線路はそのまま残され、時の流れに静かに身を委ねていた。


その廃線になったトンネルの中に、今もなお走り続ける幽霊機関車がいるという。


夕暮れ時、トンネルの入り口に立つと、遠くからかすかな汽笛の音が聞こえてくる。それはまるで、かつてこの線路を駆け抜けていた機関車の残響のような、どこか懐かしい響きだ。そして、その音に導かれるようにトンネルの中を覗き込むと、薄暗い闇の中からヘッドライトの光が近づいてくるのが見える。


その光は次第に大きくなり、やがて、錆びついた古い機関車がトンネルの中から現れる。機関車の窓には、見覚えのない人物が座っている。その人物は、まるでこの機関車と一体化したかのように、どこまでも静かに、そして力強くトンネルの中を走り抜けていく。


この幽霊機関車の目撃情報は、地元住民の間で語り継がれている。ある者は、機関車の運転席から白いものが飛び出したと言ったり、別の者は、機関車の後部から黒い影が追いかけてくるのを見たと言ったりする。


この幽霊機関車の正体は何なのだろうか?


ある者は、かつてこの線路で起きた悲惨な事故の犠牲者の魂が、機関車に宿ったのだと語る。また、別の者は、このトンネルには古代から伝わる魔物が棲んでおり、それが機関車に乗り移って現れるのだと信じている。


いずれにしても、この幽霊機関車は、この地方の人々の心に深い印象を残し、語り継がれる伝説となっている。


幽霊機関車に出会った人の末路


幽霊機関車を見た者は、その後、奇妙な現象に見舞われると言われている。例えば、夜中に目が覚めると、耳元で汽笛の音が聞こえたり、窓の外を幽霊機関車が通り過ぎていく幻影を見たりする。また、中には、幽霊機関車に追いかけられ、意識を失ってしまう者もいるという。


なぜ幽霊機関車は現れるのか?


幽霊機関車がなぜ現れるのか、その理由は誰も知らない。しかし、一つだけ確かなことがある。それは、幽霊機関車は、この地に深い悲しみや怨念を残した魂の象徴なのかもしれないということだ。





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消えない影

 都会の喧騒を離れ、のどかな田舎町に移住した佐藤家は、最初は戸惑いながらも、次第にその暮らしに慣れていった。広々とした庭で子供たちは伸び伸びと遊び、夫婦はリモートワークに集中できる環境に満足していた。しかし、その平穏な日々は、あることに気づいたことから徐々に崩れていく。


それは、村で葬儀が頻繁に行われるようになったことだ。高齢化社会とはいえ、これほど短い期間に多くの住民が亡くなるのは不自然だと、佐藤夫婦は感じた。村の古老に尋ねると、「昔からこの村は寿命が短い」と、当たり前のことのように言われた。


当初は、単なる偶然かと思っていたが、村の空き家は日に日に増えていき、活気のない風景が日常となった。そして、佐藤夫婦は恐ろしいことに気づいた。


それは、亡くなったはずの村人たちを、時々見かけるようになったことだ。畑仕事をしている最中に、遠くに亡くなったはずの老人の姿が見えたり、夕暮れの道で、かつてよく話しかけてくれたおばあさんの影が重なったりする。


彼らは、佐藤たちに危害を加えるわけでもなく、ただそこにある。しかし、その存在は、村に異様な雰囲気をもたらしていた。


「あれは、この前亡くなった太郎さんじゃない?」


「気のせい?最近、目が疲れてるのかも」


妻はそう言って自分に言い聞かせるように言ったが、佐藤もまた、その光景を現実のものとして捉え始めていた。


村の神社で、古老に相談してみたが、古老はただ笑って、「この村は昔からそうなんだよ」と言うだけだった。


夜、布団の中で、佐藤は目を閉じても、あの影たちが目に焼き付いていた。そして、ふと、あることを思い出した。昔、村の古老から聞いた話だ。


「この村は、昔から『あの世とこの世が近い』と言われる場所なんだ」


佐藤は、背筋を凍らせた。もしかしたら、この村は、生と死が曖昧な、不思議な場所なのかもしれない。


村の祭りの日、佐藤は、村人たちと一緒に神輿を担いだ。そのとき、彼は、神輿の中にいる自分と同じ顔をした、もう一人の自分がいるような気がした。


その日以来、佐藤は、村の光景を当たり前のように受け入れるようになった。死んだはずの人々が、村の風景の中に溶け込んでいる。それは、決して気持ちの良いものではないが、もはや、佐藤にとって、それは日常の一部になっていた。


そして、佐藤は気づいた。この村で生きるということは、生と死が常に隣り合わせにあるということ。それは、恐ろしいことかもしれないが、同時に、どこか美しいことでもあるのだと。


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